ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ
日本列島のこれから

    2011年6月月18日 練馬文化センター小ホールに 

                    講師  アーサービナードさん   


憲法は核をなくす運動の足場だ

日本語が好きだった

 1967年、アメリカデトロイトで生まれですが、その前年大きな原発事故が発生しました。フィルミ-原発のメルトダウンが起こった。これは、多くのアメリカ人も知らないですね。奇跡的に部分的なメルトダウンで終わった。本当ならメルトダウン、メルトスルーが起きてもおかしくなかった。母が妊婦の時に大量被爆をしてもおかしくなかった。そうしたミシガン州のデトロイトに生まれました。22歳になって日本文化というよりも、日本語そのものに興味があって、大学では、途中でイタリアに行ってイタリア語を覚えたり、インドに行ってタミール語をかじったりした。でも英米文学の卒論を書いているときに「漢字」に出会って、中国へ行こうか、日本へ行こうかと迷った。「漢字」が使われている国に行ってみたい、自分のものにしたいと思っていました。英語の百科事典などを見ていて、日本語が「メッチャクチャで面白い」と思った。表意文字も表記文字もあったり、ひらがなとカタカナと二種類あって、なんで二種類もあるんだと不思議でした。
 しかも、日本語がどうして出来たかという過程というかプロセスを調べていて、文字のある言語は大陸から4世紀ごろ仏教と一緒に入ってきた。文字のない言語を表記するために外から入ってきた言語を一緒くたにして、音だけを表すひらがなとカタカナという言語を作り出した。これは、英語の面白さと日本語の面白さが根っこのところでつながっている気がしたのですね。英語ももともと文字のない言語があって、そこにローマのローマ字が入ってきてごちゃごちゃになったのと同じような気がした。
 英語のスペルがめちゃくちゃなのはそういうことなのですね。イタリアの子ども達もスペインの子ども達もスペルで悩むことは一切無い。本当にうらやましい。書くとおりに読んだり、読むとおりに書けばいいのですが、英語というのは訳がわからないですね。スペルもよくわからないで、自分の母国語を調べるためにしょっちゅう辞書を調べている。日本語も英語以上にめちゃくちゃなんだろうなと思って、それで、魅惑されて、卒業と同時に日本に来たのです。日本に来てもう21年たった。1990年の6月1日で22歳だったので、なに人なのかわからない。半々になってしまった。人生の半分はこんなにあっという間にすぎてしまうんだ、というのを感じます。


■日米関係にズレ?    

自分の母国アメリカと日本の関係を見て、アメリカ政府と日本政府との関係を見て、自衛隊と国防総省の関係などずっとみていて、本当に不思議な関係だなと思うんです。規制緩和というと規制緩和という。郵政民営化というと郵政民営化という。グアム移転金払うというとグアム移転金払うという。TPPに入るというとTPPに入るという。「こだまでしょうか」。いいえ日米関係です。それが、僕の基本認識というか、観察して見えてきたもので、本当に不思議なものです。しかも、菅政権になってから、それまで以上に両国の夫唱婦随振りが顕著になってきた。どういうわけか、今回の福島原発のメルトダウン、メルトスルーの事故に関しては、大きなずれが生じた。総理官邸とホワイトハウスの間に大きな溝が生じた。ふだん歩調も口調もばっちり合わせる両国が、日本政府は事故の周辺半径20キロ圏外に退避するようにと発表した。最初は3キロ、本当に危なかったときは広げてなくて、その責任は問われるべきですが、一応20キロ退避ということとなった。20キロから30キロ圏内では屋内退避を命じた。そしたらまた、自主避難に切り替えた。出て行くなら勝手に出て行けという本当に無責任な対応だと思う。今は、無計画の計画的避難区域を設定している。どんなに数値が上がろうと、プルトニュウムが検出されようとしばらくの間、2カ月の間、30キロをもっと広げるという決断はしなかった。その気配すらなかった。一方オバマ大統領は、はやばやと日本にいるアメリカ人。それは僕のことですが、そのアメリカ人に対して福島第一原発の50マイル圏外へ避難するように勧告した。50マイルというとすぐわかる人もいれば、どの位だと思う人が多いと思う。キロとマイルはどう換算するのだっけと思う人が多い。
 わざわざマイルで発表して、日本のマスコミはわかりやすいように80キロと発表した。80キロ立ち入りべからずという地域があって、そのズレが歴然とあった、20キロと80キロ、4倍ではないですか。戦後日本の歴史の中で「最大のズレ」かもしれませんね。僕は友達が福島県の南相馬にいて、原発から25キロくらいのところです。だからちょうど狭間です。南相馬市には若松丈太郎という素晴らしい詩人がいます。いま日本で最も読まれるべき詩人といってもいいと思います。その若松さんも原町に住んでいて、ちょうど狭間地帯にいる。僕が、若松さんに会いに行こうとすると大統領命令に背くということになる。背いて先々週行ってきたんですけれど、それだけでなく、福島県立美術館というところで第五福竜丸の素晴らしい原作を書いたベン・シャーンというアメリカを代表する画家ですが、その展覧会を今年の後半に開くことになっていて、何年も前から企画していた。僕はその企画にかかわっているので、行かなくてはならないのですが、その福島県立美術館は福島市にあるのですが、それも、大統領命令に従うのなら、行くことが出来ない。郡山の友達のところへもいけない。17年前から毎月1から2回のペースで青森放送の番組で青森に行っています。東京で恥をかかずに青森で恥をかいているわけですが、朝9時から始まるので、夜行バスで行って、少し街を取材して、スタジオに入る。帰りは電車で帰ってくることが多い。その仕事に行こうとすると僕は、大統領の命令にそむくということになる。バスにのって東北自動車道を進むと、80キロどころではなくて50キロのところを走る。新幹線も同じ道を通っている。郡山、福島を通る。ダメですね。それを考えながら80キロと20キロを考えると。そこなんだな。と思った。つまり、危険かどうか、人体の影響がどれくらいなるかということではないんです。日本政府の避難区域の範囲はそういうことなんです。いま、御用学者ではない本物の学者達が、果敢に戦いながら調べて、それに一般市民も加わって、放射能汚染の実態が少しずつ見えてきた。
 日本政府が情報を出しているのでなく、隠して、バレた頃に情報を出すということがずっとこの三ヶ月繰り返されてきて、なんでアメリカ政府が非常に危険ですと言っているところに、日本政府はどうぞ行ってらっしゃいといっているのか、何故なのだろうか、要するに「経済」で避難区域が決まっているということの表れだと思う。日本政府は、新幹線と高速道路に避難区域が食い込むことをなんとしても避けたい。新幹線、高速道路がダメだと経済への打撃は計り知れない。JR東日本の株価はゼロになります。福島市、いわき市、郡山市が使えなくなると経済の影響が大きすぎて、大変です。損害賠償も莫大なものになる。ただでさえ、今の段階で国家予算を超えるぐらいの金額が見積もられているわけだから、これを考えると政治家も官僚も御用学者もぞっとするのだと思う。だから、20キロ30キロで収めるという対応になる。何でマイルで発表したか、何で50マイルで出したか、日本にいるアメリカ人はキロはわかるんです。はじめから80キロといえばいい。
そこは、たくみに日米相談してマイルで言ったほうがいい。ということになった。50マイルと聞いて30キロが頭にあると、まあ、差があるけどそれほどではないと思う。気になる程度だと思う。だが、80キロと出されると気付く人がいる。僕はアメリカ政府のインサイダー情報もなく、ウイキリークスも最近のものはなかなか出てこないので、おそらくオバマ大統領の側近の人達は、70マイル位まで広げたかったに違いない。最低放射能の人体への影響を考えれば、70マイルくらいは必要だと思う。もし、それが、TVのニュースをつけて日本政府は20キロから30キロ、アメリカ政府は110キロ県外に出てくださいというと、東京の人もドキとするのではないか。それをなんとしても避けたいという、僕の邪推ですけど、そういう狙いもあったのではないか。という気がする。

■ナチス時代と最近の日本

 私たちはなぜ法律は正しいと考えるのでしょうか。「その地域や時代の多数の人の意見に従っているから正しい」と考える人が多いと思います。では多数意見が常に正しいのかというとNOです。人間だからです。人間は情報操作、雰囲気、目先の利益に惑わされて、間違いを犯すことがあるからです。間違いを犯してしまう弱い生き物なのです。間違いを犯す弱い人間の声をたくさん集めて政治をやった結果失敗してしまったという例はたくさんあります。その一番の例がナチスドイツ時代のヒトラーです。

ヒトラーは政権を取った後に写真集を発行します。その中には女性や子どもたちにとても優しく接している写真がたくさん出てきます。ドイツには600万とも700万ともいわれる失業者が溢れていたのですが、公共事業として高速道路をつくることで経済を上向きにして失業者を減らしたため、ドイツ国民は熱狂的に彼を支持しました。1936年にはベルリンでオリンピックを開催します。ドイツ国民は経済を上向きにして、オリンピックまで開催してドイツ国民の優秀さを世界に知らせてくれた…、どこかで聞いたことのある話だと思うのですが、若者達は心酔してしまいます。その陰でヒトラーは左翼の弾圧やユダヤ人虐殺などいろいろなことをやりました。強制収容所の門には「働けば自由が得られる」という言葉が飾られています。「嘘ばかり」と思うのですが、日本でも「原子力は安全」と宣伝されていましたね。
 強制収容所には多くのユダヤ人が貨物列車で連れてこられ、女性や子どもなど役に立たないと判断された人はそのまま裸にされてガス室に送らました。指輪は外され、髪の毛も切られて殺さ
れたのです。髪の毛でオーバーコートの生地をつくっていたのです。人を物として扱ってしまう。日本だってそうですね。731部隊では生きている中国人を人体実験していて、その中国人を丸太扱いをしていたそうです。特攻隊も、普通の兵隊もそうです。消耗品のように扱われていました。戦争は人間を物として扱うのです。陰でこのようなことが行われていることを知らずに、ドイツ国民はヒットラーに熱狂していました。

 

まるで詐欺師ではないか

今の権力者、経団連の幹部は利権を何よりも最重要視していると思う。驚くことはないのですが、歴史を洗いなおしてみれば、権力者が何よりも利権を最重要視しているのは明らかであります。一般市民がどうなろうとどうでもいいという実例がいくらでもある。でも、特に悲惨なのは、今の権力者達が人命を軽視しているのは勿論ですが、相手を間違っている。放射性物質を向こうにまわして、従来のごまかしで通そうとしている。セシウムは東京電力、三菱重工業、JR東日本が潰れても「何とも思わない」です。「知ったことはない」。子ども達の白血病が流行して日本の医療制度が破壊されても、どんなに住めない地域が広大になって、どんなに経済に影響が出ても、一向に構わない。ストロンチウムは「平気のへいさ」「全くかまわない」。そういうものと一緒に暮らしていかなければならない。プルトニュウムは良心の呵責を知らない。しかも24時間、365日間頑張って、2万4千300年頑張ってそして半分になるだけです。そういう相手を向こうに回している。権力者は、放射能が敵だ。「付き合えない相手と付き合っていく」という認識はないですね。その理由は、放射性物質、放射能汚染の性格そのものだと思うが、放射性物質はにおわない、かなりひどい被爆であっても影響が出るのは、後になってからです。時差がある。この時差がとぼけたい人、隠したい人、隠蔽したい人にとってはものすごく都合がいい。すぐには出ない。すぐにみんなバタバタ倒れるわけではない。「直ちには影響がない」と言う枝野官房長官にぴったりなんですね。地獄でのた打ち回る姿がみえる。可愛そうにあの世がなければいいんですが。逆にそれは「必ず影響が出る」ということです。でも、政治家も大企業も責任をとらなくてすむほどで影響が出るということである。でも、みんなどうしようもない相手と戦っているのだということを僕らは認識してすすめなければならない。今、安心も安全もない環境の中で、どう未来を築きあげるかを考えなければならない。

本当に恐い「ゴミ」
いつも講演会などで話すときに詩人なので、詩を読もうと思っている。でも、しゃべりだすと書いたことも忘れてしまうし、しゃべり終わると「あっ」と思うのですが忘れてしまう。詩をいっぺんも読まなかった。何のために詩人に頼んでいるのだ。ということになる。今日は、そこで前半に詩を組み込んで、もって来ました。「ゴミの詩」という詩集です。「ウラン235」という詩が入っています。

「ウラン235」
 我が家はマンション11階の西側にあり、真夏でも晴れの日なら午後の間は暖房無用、真夏は冷房を毛嫌いしている僕は、窓を開け放ちスダレと洗濯物で西日をさえぎり、パンツ一丁で汗をたらす そんな時時差を思う 水素と水素が核融合して1グラム当たり1500億カロリーの熱量が作り出される それが地球に届くには約8分かかるという 富士山を右に見て今ちょうど沈んでいく夕日は 本当はすでにその位置になく エネルギーだけを送ってどんどん移動中だ 諏訪旅行の途中から出すどこどこに来てますの絵葉書みたいに 空が暗くなるにつれて 裏の駐車場の明かり 隣のビルの外階段の明かり 向こうの神社の石灯籠の中に忍ばせてある電球も点灯 その光は一瞬にして届くかのように見えるがみな送電線と変電所を通ってくる なかにはウラン235が核分裂して1グラム当り200億カロリーの熱量が作り出される柏崎狩羽か 福島の第一か第二からのものも 1億5000万キロメートルの向こうから8分の時差を抱えて明日も昇るあの大空の原子炉ひとつで間に合わせる手はないか そう考えながら窓から身を乗り出す 壁の余熱に僕は包まれている

 この詩集を作るときにタイトルで色々悩んで、中の作品のひとつを選んでタイトルにする。すると楽なんですね。どうしてもうまくいかなくて「ゴミの詩」というタイトルにするんだと出版社と編集者に頼んだ。「えーやめてください。ゴミですか」「ゴミみたいな本になるよ」とか言われたのですが、頑張った。それで出したら、ラジオの吉田照美さんの番組でリスナーのプレゼントがあるのですが、お葉書は「ごみ」係へ、サイン会では本屋さんのところで「ごみ、ごみ一冊頂戴」て大きな声を出している。
 ただ、「ごみ」が人類最大のテーマだと思っている。どうしても「ごみの詩」にしたかった。その最低、最悪のごみが核のごみ。使用済み燃料とごみをつくっている人達が呼ぶんですが、その燃料が正しくないと思っている。あれ燃やすのではない。英語でfuelというのですが、あれはもともとラテン語で囲炉裏とかかまどとかの意に使われている。家の中で火をたくところがfuelの源です。エンレギーの素といっていい意味で使われる言葉です。一寸歴史をさかのぼってみると、マンハッタンプロジェクトをすすめていたとき、同じウラン235を取り扱って、同じプラトニュウムを扱ってそのときは燃料と呼んでいない。燃料は後から出てきた。そのときは核分裂物質と読んでいた。正直に名前をつけていた。途中から燃料に変わった。それで核分裂物質を原子炉の中で分裂させていくと1年くらいやっていると使用済み燃料になる。使用済み燃料というとなんだかくたびれたイメージがわきますね。エネルギーがなくなってもう用がないからというイメージがある。それにひっかかってしまうのですが、それも意図的ですね。中身を良く見ると、ウランを核分裂物質の燃料棒を沸かしているところは、放射能は1億倍になっている。とってもやばいものが、1億倍のやばさになってしまう。全然使用済みではないんです。燃料にしてみれば、これからがんばるぞということ。プルトニュウムをつくるということは、10万年後まで、生き物を殺していくものをつくるということ。原子炉を動かすということは、そうした原子をつくるということ。なんでこんなムダなエネルギーをつくっていくのか。子どもの頃も、デトロイトにいて原発に囲まれて、今尚、母が住んでいるところはワーストスリーといわれる原発危険区域であります。ずっと不思議に思って、日本に来たときは、日本に原発があるとは知らなかった。何にも知らないで日本に来ました。

お天道様はついてまわる
初めて地震を体験したのも日本でした。22歳のとき、面白かったですね。僕の生まれ育ったミシガン州でも30年に1度くらい一寸ゆれることがあるんです。2ヶ月位してから、英会話スクールで英語を教えていたのですけれど、夜、飲み屋で飲んでいたら、ぐらっときて、外に飛び出したら、電柱が揺れている。すごい感動した。何もかも揺れているということは、驚いた。地震は怖い相手で、どうにもできないことはわかるのですが、同時に僕は、ゆれるから日本だと思った。この国は揺れるからいいんだと思った。だが、2年くらいたってから、日本は原発銀座だと知ったときは、本当にびっくりした。どうしてこんなことをするんだろう。ずっと疑問に思っていたんですけれど、ある時、落語を聞きに上野の鈴本に言った。そこで、落語にはまってしまった。落語に教わった。何で馬鹿なことをやっていることを教わった。その古典落語は「唐茄子」というかぼちゃの話ですね。放蕩息子の若旦那が吉原に通って、あまりにも金を使って、それも親父の金を使っているから、家族に怒られて、それでも直らず、怒られても通い続けるから、「出て行け」といって勘当されてしまった。若旦那は何とかなるさと、ある意味前向きな人なんです。その彼が、オヤジに捨て台詞で言う言葉があって、その言葉が僕にとって大きな発見だった。それは「いいんだよ、お天道様と米の飯は付いて回る」といって出て行く。これを一生懸命ノートに書き込んで、なんで「米の飯」といわなくてはいけないのか、「馬の馬糞」じゃないですか。そうじゃないんだよな、これは「米の飯」というリズムがいいんだ。しかも、米で飯になるからこれはいいんだ。でも「お天道様」のところはすごいなと思った。「お天道様」は当たり前のことなんだけど、確かに「ついて回る」。日本に限らず世界のどこにいても「ついて回る」。本当は天文学的に言えば、僕らがぐるぐる回って、回りながら付いて回るのだけど、でも、地球にいる生き物の実感として「お天道様は付いて回る」。しかも、みんなに等しく付いて回るというところもすごいですね。地域別の経済格差はお天道様は気にしていないですね、むしろ、地域格差で恵まれてないところほど、おてんとうさまが付いているんですよね。砂漠化が進むほどお天道様は付いている。貧乏人のうちも金持ちのうちも照らして、世界中にお天道様はエネルギーを供給している。考えてみれば、人間がエネルギー資源がどうだなどというのだけれど、エネルギーは全て太陽のものですよね。地球そのものは昔太陽から別れたといわれているし、太陽が、照るのをやめてしまったらアウトです。天照大神の話があるじゃないですか。岩戸の中に入ったらもうダメなんです。お天道様が照っててどうするかという話で、いなくなったらエネルギーも何もあったものではない。生命がすぐ終わってしまう。だけど、お天道様が付いて回る。今日寒くでダメだと思うと次の日あったかくて、太陽のエネルギーが全てなんだけど、太陽があまりにもでっかすぎて、ひとりじめにすることが出来ないというところが欠点です。僕らにとっての欠点でなくて権力者、大企業にとって利益をぼろもうけしようとする人にとっては、太陽は非常に厄介なものです。だって、どうがんばっても一人締めできない。軍事力で抑えようと思っても出来ない。料金を払ってから照らしますとはいえない。石油だとそれがいえる。湾岸戦争パート1が勃発と日本の新聞は言ってたけれど、マッチポンプだよね、あれは。嘘っぱちだよ。勃発した頃に日本に着たばかりだったけれど、あの戦争もパート2の戦争も、軍事力で抑える、それで、イラクの人々をどうこうしようというのは本当の狙いじゃないのです。砂をほしいわけではない。砂の下にあるものがほしい。それを軍事力で取ろうとする。抑えれば、元締めになれる、価格まで決められる。そうするとガッポガッポと儲かる。石油はそれでいいんだ。中でも一番使いやすく、市民を締め出して、ある一部の人達だけが利益を得るのに都合がいいのは、原発なんです。一般の人には入れない。燃料といわれるものにも入れない、近づいてもいけない。それを抑えて、元締めになって儲けるというカラクリ、暴利をむさぼるというカラクリが成立する。しかし、お天道様は成立しない、なぜなら付いて回るから。ソーラーがキライなのはそれなんです。経団連がソーラーは大嫌い。みんながソーラーのパネルを張ってしまうと、電力の源は自分だとなってしまう。誰でも電気を作れるようになってしまう。必要な電力がつくれる。一人一人が電力会社となる。すると電力会社はいらなくなってしまう。その利権構造を守るためにはソーラーを排除することが必要になる。地熱も権力者は大嫌い。日本の技術は非常に進んでいるが、地熱をすすめない。発電所もあまり多くなくて30あるかないかと思うが、もっとあっていい。調べてみると、そのうち2基は、温泉宿の発電所。いくらでも出来る。それを原子炉でやってみてくださいよ。うちの地下には原子炉があります。それで沸かしています。一体誰が泊まりますか。鉛で壁を作るしかない。それが怖い。誰でも手に入れることが出来る電気、みんなに等しく伝わっていくことが出来る電気。お天道様が付いて回ると同じように電気が付いて回るようなことは権力者や大企業には困ってしまう。それが、原発が何で在るかという存在意義のひとつであります。それがだんだん見えてきて、それでも僕は何にもわかってなかったということがあとでわかった。


第5福竜丸事件で見えてきたこと

少し本当の、本当のカラクリが見えてきたのは、第五福竜丸事件を語る絵本を作るときなんです。ベン・シャーンというアメリカの素晴らしい画家が、1950年代の終わりから第五福竜丸の物語の最初は雑誌のカット絵としてイラストを描いて、この事件がどれほど人類にとって大きな意味をもっているかということを深め、雑誌の仕事からはじめた仕事を、最後の大連作としてタブロイド絵を描いて、僕が1歳のときになくなった。ベン・シャーンの第五福竜丸の絵がアメリカの国立美術館、スエーデンの国立美術館といった世界の美術館に飾られている。福島県立美術館も素晴らしい絵を持っている。その絵が世界を回って、その絵を訪ねることが出来るのですが、ベン・シャーンが描いたその絵と言葉が一緒になって、第五福竜丸事件の本当の物語を語るようにはなってなかった。僕は、父親がベン・シャーンの画集を持っていて、小さいときからその絵を見ていた。だが、日本に来る前までは、物語はなかったので何が起こっていたかはわからなかった。ベン・シャーンの絵の英語名の「ラッキー・ドラゴン」という言葉だけは頭に入っていて、彼が描いていたことだけはわかっていた。日本に来て2年くらいたったときだか英語で書かれた東京のガイドブックを見ていて、「ラッキー・ドラゴン・ミュージアム」というのが夢の島にあると紹介されていた。「ドリーム・アイランド」とすごい名前だなと思っていたら、しかもゴミ捨て場というから驚いた。大胆だなと思ったが、その第五福竜丸の船がそこに捨てられていた。市民がそれに気付いて保存運動がワーッと大きくなって、都知事を突き動かして、夢の島が出来たときには第五福竜丸展示館が出来て、本物の船が展示されていた。僕は、本物の船があるということより第五福竜丸事件がなんだったのかということに興味を持った。ガイドブックに書いてあったストーリーのあらましを読んで、なんか納得がいかないと思って、日本の図書館にあった百科辞典とか、色々な資料を読み始めた。だが、どうも物語が変だなと思った。更に調べていったら、本当の物語のカギの部分が見えてきた。普通の百科辞典ではどういう風に紹介されているかというと、日本のはえなわの木造のマグロ漁船が、焼津の港から出てミッドウエーのほうに行っていたんですが、漁がうまくいかなくて、はえなわも切れてしまってマーシャル諸島を目指すことになった。南へ進んでいって、3月の1日の朝未明に、太陽が西の空に昇った。ビキニ環礁の水爆の核実験を目撃した。島が吹っ飛んで大量の放射性物質が珊瑚と灰と一緒に混ざって、吹雪のように舞い散った。かれらは被爆しながらはえなわを引き揚げて、焼津の港に2週間かかって戻って、入院して、半年後に久保山愛吉さんが亡くなった。放射能病で亡くなると書いてある。それが僕にとっては、どうにも理解できないあらすじだった。僕はアメリカに生まれ育って自分の国の国防総省というのはどういうことをしてきたかが少しわかっているので、第五福竜丸という船が、無事焼津に帰れたというのが本当にわからなかった。当時の米軍にとって最大の機密である水爆を目撃して、死の灰をあびた無防備の漁船がそのまま帰れるわけがない。撃沈されるに決まっている。証拠隠滅の一環として第五福竜丸は消される運命にあった。にもかかわらず焼津に戻った。それは何なんだろうと考えた。この事件の本質を捉えた本があるなら、その本を読もうと思った。そういう本に行き着くのに一寸時間がかかった。調べていくと、太陽が西の空に昇ったのを久保山さんほか23人が初めて見て、爆音が8分くらいしてからして、久保山さんがすぐ指示する。船や飛行機が見えたら知らせろ。そのときは、すぐ焼津の港に位置を知らせる。そうでなければ無線を打ってはならない。久保山さんは戦争のときに軍に利用された船に乗って無線を打つことをやらされたことがあって、無線を打つとすぐ傍受されてやられてしまうことを知っていた。久保山さんは運良く盲腸が破裂して、船を下りて手術を受けてそれで助かった。皆は助からなかった。そういう不条理の中で久保山さんは、戦争を体験して、ヒロシマ、ナガサキのことも自分なりに調べていた。マーシャル諸島の海で不信な消え方をした船がある。情報をつかんでいた。それで、これはおかしいと察知してここから帰れるかどうかわからないが、仲間にすぐ体制を整えさせて焼津に向かった。船が見えたら終わりだし、飛行機が見えたら撃沈されると思って、最後の抵抗として、港へ自分達の位置を知らせた。気付かれてなければ助かるから、絶対に無線を打たないと決意していたという。乗組員23名が被爆して2週間船の中で耐えて吐き気がして、おできが出来て、髪の毛が抜ける、顔が黒ずんできて、みんな内部被爆に苦しんでいた。死の灰を浴びた23人というと歴史の歪曲だと僕は思うんです。もちろん死の灰を浴びたんですが、死の灰のサンプルを取っておいて、上京して、当時は御用学者以外にも多くのまじめな学者がいたので、もって行って調べて間違いなく水爆実験だったということがわかった。そこから核兵器をどうするのだと一般市民が、自分達の未来をどうするのだという運動が始まった。杉並のお母さん達が署名運動を始める。そこから立ち上がり核兵器を無くす運動が始まる。人類が生き残るために必要な情報を第五福竜丸の乗組員が海でつかんで持ってきて生き証人になった。久保山さんも半年間ズーット人類が生き残る言葉を発していた。


「核分裂物質」と正しく言おう
54年3月1日が時代のひとつのカギになると思うのですが、実はその前の年の暮れまでさかのぼって考えたい。いま燃料(fuel)という言葉が正しくないって言ったのですが、当時は実態に合った核分裂物質という言葉を使っていた。みんなにfuelと呼ばれるようになったのは、53年54年あたりからです。1945年の8月6日までさかのぼるとウラン235は、核分裂物質で原爆が使われていた。どのくらい入っていたと思いますか、ヒロシマを一瞬に爆発して14万人が殺された原爆の中に、1キロ未満800グラム未満が爆発したといわれている。実際は、筒の中に原爆の爆弾のリトルボーイと呼ばれた中に入っていたのは50キロくらいだったようです。50キロを固まりにすると核分裂を起こしてしまうので小分けにしなくてはならない。分けた後、お尻のところに火薬を詰めた。それをヒロシマ上空で遠隔操作によって火薬を落とした、火薬と筒の中が合体して爆発してその中の800グラムくらいのウラン235が核分裂を起こした。8月9日にナガサキに原爆が落とされた。中にはプルトニュウムが入っていた。ヒロシマのリトルボーイと呼ばれた爆弾とはずいぶんかっこが違う。卵型というかデブッチョであった。これはプルトニュウムの塊を小分けにして球状にしてその回りに火薬をまわす。本当に卵の黄身みたいにした。一瞬にして爆発すると真ん中にプルトニュウムが集まって核分裂を起こし9万人を死なせた。そして長崎の町を破壊した。プルトニュウムというのはどこで掘って手に入れるのですか。ウランは鉱物の仲間だから掘り出し、濃縮するので掘り出した人、精製した人も被爆して大変な汚染を繰り広げながらウランを濃縮してつくるのだが、プルトニュウムは、どこで掘っても出ないはずです。本来地球にない物質ですね。太陽と別れたばっかりのころにプルトニュウムの親戚見たいのがあったといわれているが、人類が生まれてからはプルトニュウムは地球に存在しない。やばすぎて生物が生きていけない。それではどこから来るというと人間が作るんです。人工的につくる物質なんです。プルトニュウムが一番最初につくられたのは、1940年カリフォルニア大学で学生が作ってしまった。水素をウラン235にあててつくった。つまりウラン235から作る。これは作っていけない。地球にはいらない。そこで閻魔様に相当するプルトという冥土の王様の名前をつけた。それほどやばいです。1グラムで50万人くらい殺せるといわれている。恐ろしい物質であります。にも拘らず日本政府は「飲んでも大丈夫です」というプルト君というキャラクターをつくって宣伝した。冒涜にも程があるよね。これはものすごく怖いです。空気に触れると燃えちゃうし、とてつもない強い毒をもっているし、そのやばさと一緒にメリットもあるんですね。僕らにとってメリットは全然ありませんが、世界を支配しようとする人にとっては、すごくありがたい物質です。爆弾作るならウランよりもプルトニュウムのほうがいい。ヒロシマでウラン爆弾を試して、ナガサキでプルトニュウム爆弾を試した。これはすごい事で、核兵器をどんどん作って、ソ連も持つ、アメリカはそれ以上の大きな核兵器を作る。プルトニュウムを引き金にして、より以上の爆弾を作っていった。それが水爆になり52年くらいから水爆実験が始まって、第五福竜丸が遭遇したのがその時期であった。「ブラボー」という名の爆弾はヒロシマに落とされた原爆の1千倍の威力があるといわれている。どこで使えるというのか全く訳がわからない。でも、使おうとか何に使いとかではなくて、これは世界を支配する道具になっている。一般市民にとってなんのメリットはないのだけれど、軍にとって軍事力で世界を支配できる道具としては最適なのだと思う。自分の利益を守るという人達にとってはものすごく便利、ノルマンデイ上陸作戦なんかやらなくても、南の島から飛行機を飛ばせばそれですんでしまう。軍にしてみれば絶対手放したくないもの。最初のPRは非常にうまくいった。戦争の大勢は決まっていたが日本に落とすことによって、今まで使われた天文学的数字の軍事費の理由付けに出来る。実験として落として証明した。



ペテンに騙されるな
アメリカの市民はそれにまんまとだまされて、原爆投下は第二次世界大戦を終わらせるためには必要だったという世論をつくった。戦争を終わりにしてくれたのではないかと、僕の祖父母も思った。みんな有難いと思った。しかし40年代の後半、ソ連も核爆弾を持って軍拡競争の中でアメリカの一般市民は気付き始めた。戦争が起きたらもう人類は滅亡して、地球に住めない世界になると思いました。誰にとってもメリットがなく、ただただ税金を取られて地球滅亡の道に進んでいく。これは悪魔の兵器なんだとだんだん気付き始めた。50年代の当初、ペンタゴンが次々とすごい実験をやるのですが、ニュースにすればするほどやばいと、世論が動き出した。それで世界最大の広告代理店であるホワイトハウスが危機感を持った。このままでは核兵器が取り上げられてしまう。それだけはなんとしても避けなければならない。ずっと試合の道具として持っていたい。それで優秀なコピーライター、優秀な企画マンが集まって、連日原子力キャンペーンの中身を考えた。アイゼンハウアーはもともと陸軍の将軍で、政府に天下った人です、世界で一番華やかに天下りをした軍人ですね。どんどん軍拡を進め核兵器を作っていったのですが、さすがのアイゼンハウアーも危機感を強めた。難しい課題であった。核兵器を一般の主婦に売り込むには非常に難しい。「あなたの生活にもひとつ核兵器を」とはいえないんですよね。核兵器で旦那のワイシャツの襟の汚れが落ちるわけでないし、目がきれいになるわけではないし、やせはしますけど、いいやせ方が難しい。大量虐殺の兵器なのだから軍事利用しかない。核分裂物質は生命にとって脅威でしかない。でも、売り込まなくては利権構造のカラクリをいつまでも守ることが出来ない。だからみなが集まって、ただのキャッチコピーとかただのイメージチェンジではすまない。なんか新商品を出して輝かしいものを出しておいて、カモフラージュを施すというやり方しかない。何があるかといって、核兵器を作っていた人達だから、原子炉という技術を確立して持っていた。原子炉は、何をするか何のための道具なのかと町に出て皆に質問すると、電気の発電ですねと答えると思うのだけど、それは、後から作られたペテンなんです。原子炉は何のためにあるかというとプルトニュウムを作るためにあるのです。ウラン235を原子炉の中でじりじりと核分裂させて一億倍の恐ろしさを持ったプルトニュウムほか核物質をつくるのです。死の灰工場なんです。それだったら爆弾で核分裂させたほうがいいじゃないかと思うが、爆弾でやるとボーンといって飛び散って集めるのが大変なんです。ヒロシマのあと放射性物質を集めるのは大変だった。福島を見てもわかるでしょう。色々なところに飛び散ってしまう。だから原子炉の中でやって生成して取り出して水爆を作る。原子炉は核のゴミといってしまうが爆弾、核兵器の原料を作るためにあるのです。つくっているとすごい熱が出る。熱をどうにかしなければならないので、冷やすために水をずーとかけてなくてはいけない。湯を沸かせば、電気ができるというのは、誰でも少し技術がわかっている人は知っています。タービン回すために湯を作るというのは考えなくても出てくる。そこで1953年のときに原子力でいこう。コストを全部ごまかして何兆円を毎年軍事予算を使っているから、その一部を原子炉にまわして、コストを一部隠しておいて税金を使えばこんな良いことはない。電力を供給するフリをして核兵器のPRをやろうということになった。そいう形で1953年暮れのアイゼンハウアー大統領の国連演説が出てきました。これはこの百年の世紀の四大詐欺のうちにひとつです。僕は詩人なので同じ言葉を使って作品をつくっているわけですが、このペテンの輝きのすごさに参ってしまいます。よくやったね本当に、ピースとはどうしてもつながらない核精製物質、核分裂物質、核兵器にしかならない原子力を平和のための原子力。これを世界一の広告代理店であるホワイトハウスから出した。キャンペーンやっているコピーですが、下請けの永田町に来て日本語で平和利用という言葉が出てきた。平和の対極にあるものを平和と読んでいる。平和利用があると戦争利用・軍事利用がある。二つあるように見えてしまう、本当は同じ穴の狢で同じだけどごまかされてしまう。狢というと狢に悪いから同じアナの核廃棄物なんだけど、言葉のマジックで大統領の演説で別物に見えてしまう。福島第一原発の一号炉の中にいれた燃料棒は何かというとウラン235。ヒロシマの人達を大量虐殺したのは何かというと、ウラン235。同じものを違う器に入れて包装紙を変えているだけ。中身は同じもの。これが軍事利用でこれが平和利用と分けることが出来るなら、ヒロシマとナガサキも分けなければいけない。何故ならヒロシマはウラン爆弾、ナガサキはプルトニュウム爆弾。技術が違うのですから。全然別物。むしろ軽水炉・福島第一原発の一号炉とヒロシマ原爆のほうが近い。平和利用というのは全くのでたらめ。聖書のことを引用して、昔の人が木を叩いて作ったように私たちは、戦争の道具を平和のために作り直して、平和の夢のエネルギー源にしますと世界に訴えた。同時にホワイトハウスはウオルト・デイズニーに「ぼくらの友達アトム君」というアニメを作らせてアメリカ中の子ども達をだまくらかした。そのアニメがその後日本政府がでっち上げた「プルト君」の先祖なんですね。それから記念切手も大々的に売り出して、3セントだと思うがうちの母も子供の頃手紙を出すとき、平和利用をぺらぺらなめて張っていた。それがうまくいっちゃった


■日本国憲法の根本価値
個人の尊重
 憲法13条【個人の尊重】すべて国民は個人として尊重される。
 私たちの憲法は、国民が国を縛り、安全保障や国民の命と幸せな生活をプロの政治家として守りなさいと命令しているのですが、そのときに一番大切なものとして「個人の尊重」があります。
 個人主義を曲解して「犯罪が増えたのは個人主義の行き過ぎが原因」と言って、個人主義を「利己主義」「わがまま」と置き換える政治家がいます。憲法が保障する個人主義は、戦前の国家主義をやめて、ひとり一人が大切にされる国にしようというもので、自分も大切だけれども、自分と同じように他人も個人として尊重するというものです。この世の中に生まれてこなければ良かった子どもなどは、ただの1人もいないというのが憲法の基本的な発想なのです。そしてひとり一人の幸せのために国があるはずなのです。
 私たちはみんな違っています。ひとり一人違うからこそ素晴らしいのです。そして自分と違う他者の存在を認め合いながら共に生きることのできる社会を目指さなければならないと思います。これは口いうのは簡単ですが、こういう社会になるには後50年はかかると思っています。「立憲主義」という考え方がメディアに出てきて、政治家が理解をするようになるまで30年かかりました。30年同じことを言い続けて、やっと、テレビや新聞が「立憲主義」とか「憲法は国を縛るもの」と言い始め、少しずつ市民の皆さんに広がり始めました。「個人の尊重」が広がり始めるには50年はかかるだろうと思います。どんな凶悪犯であろうと、どんな問題行動をとる子どもであろうと、人間としての価値がある、人として尊重するべきということなのですから、簡単ではありません。自分の身内が殺されたときに、その犯人を人として尊重できるかという問題なのですから。それでも犯人には裁判を受ける権利があり、弁護人をつける権利があるということを認めなければいけないのです。感情を乗り越えなければいけないのです。

ごまかしの平和利用
広島の原爆資料館が1955年に出来た。戦争終わって10年たって資料館が出来た。翌年、原爆資料館で原子の平和利用博覧会を開いている。クロ焦げの弁当箱、クロ焦げの衣装を全部はずして、どこかにかたずけて原子力潜水艦の模型を並べた。みんなに平和利用を売り込んだ。それが、日本の原発の出発点でもある。一番最初に原発の予算が組まれたのはいつですか。1954年中曽根康弘さんが組んだのですね。福島原発の事故があった後に、さわやかな顔で朝日新聞に登場しました。堂々としていますね。ある意味中曽根さんが目指していた国の形になったのです。中曽根さんは日本国憲法をドブに捨てて基本的人権が守られない、市民が圧倒的に弱い立場になる世の中を目指してきた。だから、改憲の父ともいえる。本当の父はキッシンジャーだと思いますが、中曽根さんは自分の目指した国に変えようとずっと政治活動を進めてきたわけですが、福島県に行くと見事その形になっている。基本的人権は何もない。住む自由、住む選ぶ権利さえない。だから中曽根さんが一番嫌っていた憲法の条文が成立しないような状況にあります。最初の原発の予算を組んだときの話を語っている。素晴らしいですよ。エネルギーと科学技術が国を発展させるのですねと記者が聞いた。すると、そこは「先見性だ。エネルギーと科学技術がないと日本は農業しかない4等国家になる」すごいですね。三等でもない四等ですよ。中曽根さんは山の奥に住んでいるから、この日本に漁業があることを知らない、農業しかないと思っている。漁業関係者が抗議すべきだと思うが、4等国家になるということは、中曽根さんの中にある一等国家とは何かと考えなくてはならない。戦後の冷戦時代で一等国家となると核兵器保持国家です。米・ソ・英・仏・中国が一等国家となる。核兵器を持っていないと四等国家になる。僕はチェルノブイリ以降、核物質を世界中にばら撒き、世界の海を汚しているのは7等国家だと思っていますが。でも、1等国家・核保有国になりたいと思う気持ちがあってこういう発言になっていると思う。いつも4等国家になってはならないと自分も危機感を持っていたというんですね。54年に予算を組んだときの話もしている。少数の同士と組んで昭和29年度予算に原子力予算を入れようと研究を始めた。たくらみ始めたのです。党の幹部には内々相談した上、衆議院予算委員会に突如2億3500万円の予算を提案して成立させた。これはしゃれなんです。ウラン235にかけて作っている。余裕なんです。第五福竜丸を迎え撃つ予算として突如予算を成立させた。何で奇襲攻撃をかけるように突然出したかというと、ちゃんと話をしている。要は事前に一般にわかると無知の妨害が起こる可能性もあった。無知の妨害というのは皆さんのこと。思考能力があって世の中を正しく捕らえている人が、異議を申し立てることを無知の妨害という意味なんです。だから、こそこそまとめてバアーと出した。一部の新聞やジャーナリズムは中曽根が原爆を作る予算を作ったと大騒ぎした。これは、大騒ぎしたのではなくて、正確に報道したんですよ。1954年のマスコミのほうが2011年のマスコミよりまだましだったということ。当時は本当のことを書くジャーナリストが多かった。御用学者の割合も少なかったけれど、御用ジャーナリストも、記者クラブの質も今に比べれば、まだよかったということです。つまり、原発を作る予算は、原爆を作る予算ですね。

原発をつくるのは原爆をつくること
中国という国がどうやって核兵器を手に入れたと思いますか。なかなか大変だったと思う。ソ連から原発をもらった。原発をもらって核兵器をつくった。そして、最初はその核兵器をソ連に向けた。インドはどうやって「核持ちクラブ」に入ったかというと、母国のアメリカとカナダからもらった。名前が違うが原発は核兵器になるのです。核分裂物質であって核燃料という言葉に変えるとそれだけでごまかせる。原発を手にいれて原爆を作った国は多くあって、持っていると外交的には得策であると思って発表している。一方、イスラエルという国は核兵器を持っているはずです。でも、「持っているか」と聞かれると「さあー」と答える。それがイスラエルの国のごまかしの判断です。日本は核保有国ですか?と皆さんに聞くと、「日本は核保有国ではないです。世界唯一の被爆国です」と思っている方は手を上げてください。誰も上げない。すごいね、イタリアの国民投票と同じくらいの確立ですね。イタリアの国民投票は新聞では原発にイエスかノーかと問われて95%の人がノーと答えた。まあ、IQテストを兼ねた国民投票だったです。イタリアには5%くらいしかバカがいないということがわかったのですが、投票用紙を見たら、「シーかノー」と書いてある。95%の人たちがシーを選んだ。つまり「核と手を切りますか」という質問で「切ります」と答えた。日本は0.00001ミリの段階で核兵器を持っていないと答える。原料になるものは持っている。核兵器を飛ばすロケットは持っている。ミサイルも持っている。色々な核兵器を作るために必要なものは全て持っている。

原発と手を切れば原爆と手が切れる
今のところ多分組み立ててないだろう。今日の5時ごろまでには組み立てることが出来る能力を持っている。核保有国かないかというのはナンセンス。原発持っている国はみんな核保有国なんです。原発は要らない、手を切るという国は核兵器を持たないという国の流れなんですね。ドイツが手を切るといっているのは、核兵器とも手を切るということです。日本はどうする。財政難でもあるし、エネルギーもない国なんです。今、永田町でも色々な議論があるのですが、手を切るということしか日本の道はないんです。3000トンもの使用済み燃料棒がたまっている。どの原発にも使用済み燃料棒があって、みんないっぱいになっている。大きな事故が出て、電力が足りない足りないとマスコミが騒いでいるが、実は足りている。原発を必死になって守ろうとしている。原発を守ろうとして、実際は核兵器を守ろうとしている。何が何でも原発をやるという理由はない。経済的にもメリットはないし、環境にも良くないし。でも議論しようとすると推進派は原発がなくてはダメだという。「なんで」というと「なければダメなんだ」という。宗教に比べると宗教に悪いのだけどなんなんだろう。核兵器が作られた過程と、使われた歴史を見れば、核兵器のPR作戦でしかないということがわかる。核燃料としてのカラクリが経済的にいきずまってしまえば、核兵器もいきずまってしまう。第五福竜丸事件でもわかったが、核燃料のウラン235をつくるとき、劣化ウランがでる。どうするかというと、劣化ウランをイラクへ持っていって処理する。核兵器を作って、20年30年たってくたびれてくると、また原子炉に入れて原発を動かしてプルトニュウムをつくる。こうしたカラクリがわかると、福島の状況を見ると本当に絶望的になって、知人、友人が心配して、いても立ってもいられないのですけれど、核燃料と手を切る。原爆と原発の流れを切ることは十分可能だと思います。どっちかが止まればいい。核兵器を廃絶すれば原発がなくなる。原発がなくなれば核兵器がなくなる。でも、原発を廃棄すれば核兵器がなくなる流れにつながっていく。そのために私たちは、両方を進めなければいけない。平和利用・軍事利用の振り分けをぶっつぶして進めていかなくてはいけない。

フクシマはゴミ捨て場か
これから福島はどうなるかというと、権力の座にいる人達はシナリオがあって、福島が核のゴミ捨て場になることだと思う。多分、福島に福井県のゴミ、九州のゴミ、青森のゴミすべて福島に集めるのではないか。どうせ200年から300年も福島に住めないし、死の灰を集めてしまうと考えているのでないか。2万4000年経って半分になるから、結果的に原発事故がおきたところが貧乏クジを引いて、処分場決まりましたね、おめでとうとなってしまう。僕の邪推ですが、当らないといいが、これからやらなくてはならないのは一つ、福島がもうゴミ捨て場に決まったねと言わせない運動をしなければない。もう一つ大事なのは、これから出てくる詐欺を出てくる前につぶすこと。つまり1953年の国連の「平和利用」演説にひっかかったようになるともう人類は終わりなんです。次のペテンに引っかかったらアウトです。さきに四大詐欺のひとつとこれを言ったのですが、他の三つが何かというと、まず、原爆投下正当化説。原爆を落としたのは正しかったという説です。これで核兵器がいいものだというPRが出来た。その後、アメリカ政府が軍部を大きくして,CIAを作って戦争という言葉を国防、つまり防衛という言葉を作った。これが第三です。次は原子力はクリーンエネルギーでありますというごまかしです。海面上昇して世の中大変なことになっている。CO2が排出されると地球が壊されて大変です。だからCO2を出さない原子力で人類の危機を乗り越える必要がある。そのCO2詐欺説です。原子力は厳密に言うと動いている間は、その一年ちょっとはCO2を出さないけれど、ずーと出してつくる。ウランを掘り出すときも、ウランを濃縮するときも、原発の建設にも非常に大量にCO2を出している。大量にCO2を出してつくる。稼動している間だけ、湯を沸かして釜の中で作っているから出ないけど、それ以外は大量にCO2をだしている。死の灰。使用済み燃料を10万年の間,CO2を出すことになる。福島第一原発の事故の処理のためにどれだけのCO2が排出されているか。だれも想像を絶する量である。だから、CO2を出さない原子力はいいというのが第四の詐欺であります。例えば、僕がみんなの前では、どんなことがあってもおならをしません、どうしてもしません。二時間の間は、といっているようなものです。今朝は大量に出して、うちに帰って大量に出しますというまさに、噴飯ものですね。それがCO2の詐欺ですね。それが教育現場にも出て、教科書にも載ってしまって子ども達はだまされる。

第5のサギの前に闘え
ただし、権力者は、第一原発の事故のようなもので懲りるような連中ではないのです。日本国憲法を破ってみんなの人権を取り上げて、核兵器の世界の構図を続けようという人達なのです。子供たちのことを考えていない、もっともっと世界中に目を向けてガッポガッポと稼ごうと考えている人達なのです。だから、第五の大詐偽が出てきます。ホワイトハウスという広告代理店から出てくるのか、必ず出てくる。だから皆さんは待ち構えている必要がある。蜘蛛みたいに待っている。その言葉が来たらパット捕まえて食っちゃう。もう市民の力でやるしかないんです。僕も詩人として頑張っていますから、出てきたらすぐつぶすか、僕は予想しようと思っているので前もってわかったらラジオでしゃべります。皆さん聞いてください、僕も久保山愛吉がピカだと察知したように、僕も察知しますからわっと盛り上げて、その広告代理店が「やられちゃった」という作戦でつぶしていかなくてはならない。これでもう一回ひっかかったら、もう守れない。3月11日以降は守る時代は過ぎた。3月11日に子ども達を守ることが出来なかった。みんな被爆しちゃった。これからはどうやって生きていくか、どうやって世紀の四大詐欺にひっかかった大人たちが、かかった無駄な時間を挽回して核と手を切ることが出来るか。課題だと思います。

憲法は核と手を切る運動の足場

今日は九条の会なので、もっと憲法の話しをしてくれなければ困るんだという方もいられますが、憲法が核と手を切る運動の足場になる。日本の憲法が本当によく出来ていて、何も知らないで日本に来たのだけど、湾岸戦争が始まった。そこに自衛隊が参加するのだ、いや無理だ。憲法があるからだという議論があって、僕はそれにめんくらってしまって、それでこんなすごい憲法があるのだ。アメリカのマッチポンプに日本はかかわらないのだと、海部さんはお金を出したが、とにかくそれから日本国憲法を勉強した。1947年のデイフェンスの詐欺でつぶされたアメリカの憲法よりもっとよく出来ていて、しかも歯止めになる憲法である。でもアメリカの合衆国憲法と同じようにほとんど使われていない。日本国憲法は未使用であります。ピカピカの新品同然であります。その憲法を生かして中曽根さんが怒るような国の形にするか、4等国家から7等国家への道を続けるかという選択肢があるが、日本国憲法は僕らにとって一番役に立つ足場であるので、憲法の話は次回じっくりやりたいと思う。核と手を切るためには憲法が必要であります。